2018.5.12

「絵本作家:加古 里子(かこさとし)さん死去」

加古さんは慢性腎不全で今月2日に92歳の人生に幕を閉じました。加古さんは1926年(大正15年)に福島県越前生まれで、1948年に東京大学工学部を卒業して昭和電工の研究所に勤める傍ら、ボランティア活動(セツルメント)に参加したことが創作活動の原点にある。

加古さんは科学者ならではの絵本「だむのおじさんたち」「かわ」「台風」「宇宙」や消えゆく子供の遊び、民話の絵本創作「石けり遊び」「鬼遊び」「じゃんけん遊び」、中でも代表作「どろぼうがっこう」「だるまちゃん」などのシリーズ絵本は読者を壮大な世界へといざなう。

加古さんがいつもの様に仕事を終え、徹夜で紙芝居を手作り、子供会で披露すると見ていた子供たちは1人減り、2人減り、子供たちはどこに行ったかと探すとこっちの方が面白いとトンボやオタマジャクシを楽しそうに捕まえています。加古さんはどうにかして、子供たちが夢中になる紙芝居を作れないか・・・。
施行錯語して「あかいありとくろいあり」「どろぼうがっこう」など、子供たちの目線で紙芝居を作り披露すると子供たちは大喜び。何度ももう一回とせがまれたという。あれがもし、つまらなくてもジーと座っている“いい子”だったら今の僕はいないと加古さんはいう。青っぱなを垂した悪がきだったから良かったと、ユーモアを交えながら振り返った。

戦争で世の中の価値観ががらりと変わり、官僚たちが嘘をつき、国の指導者が信じられなくなった今日、その様を子供たちはどう見ているのか?
そしてそんな子供たちを加古さんはどんな気持ちで眺めていたかと思うととても切ない。

「子供たちの姿は、僕の生きる原動力だった。だからいつの時代も子供たちには生きることをうんと楽しんでほしい」と語っていた加古さん。どんな時にも子供たちの側に立ち、その言葉にはいつも、揺るぎない信頼と優しさがにじんでいた。常に子供たちを羅針盤として寄り添い続けた人であった。

絵本作品は600作品以上にもなり、90歳を過ぎてからも創作活動を続けた加古さん、長い間本当にお疲れ様でした。

上毛新聞記事より引用