2018.4.25
「鉄人 衣笠祥夫死去」
プロ野球選手 “鉄人”と呼ばれた衣笠祥夫が大腸癌(上行結腸)で今月23日に亡くなり71歳の幕を閉じました。
衣笠選手は1965年に赤ヘル軍団と呼ばれた広島カープに入団し4番:山本浩二、5番:衣笠祥夫でクリーンナップを担いリーグ優勝に大きく貢献しました。
衣笠選手は輝かしい記録を残しました。最も素晴らしい記録は
試合連続出場です。当時の記録はメジャーリーグのルー・ゲイリックが保持する(2130試合)であったが1987年に衣笠選手が世界記録(2131試合)を達成しました。その後、試合連続出場は2215まで伸ばし、現在でもプロ野球最多の記録です。
衣笠の愛称は鉄人と呼ばれ体が丈夫で負傷しても試合に出場し「休まない男」と言われていました。加えて、入団当時の背番号が28で鉄人28号と揶揄され鉄人と呼ばれたそうです。
1970年に対巨人戦で西本聖投手からデットボールを受け、左肩骨折で全治2週間の診断が下され、西本聖投手が謝り行くと「いいよ。いいよ。」軽く手を上げ1塁に走った衣笠選手の姿は人としての器の大きさを感じたそうです。誰もが連続出場は1122試合で途切れたと思われたが、翌日、代打で出場しました。まさに鉄人でした。衣笠はいつものようにフルスイングして3球3振「1球目はファンのため、2球目は自分ため、3球目は西本君のため」とのコメントは有名な話です。
1987年には国民栄誉賞を授与されプロ野球選手としては王貞治選手に次ぎ2人目の栄誉でした。背番は3で広島カープの永久欠番です。
衣笠選手の夢はプロ野球選手になったら「でっかい家を買って、綺麗な女性と結婚すること」と夢を語っていました。入団すると契約金でフルサイズのフォード・ギャラクシーを乗り回し、貧乏球団で有名な広島球場まで乗り付けたそうです。しかし、何度も交通事故をお越し最期は免許剥奪されました。
衣笠選手の魅力は当てるバッテングはせず、常にフルスイングにあります。ホームランも多いが三振も多く記録も残っています。
昭和の名物男がまた一人居なくなりました。いつもで野球を誠意一杯やり続け、昭和を駆け抜けた衣笠選手の冥福をお祈りいたします。
日刊スポーツより