1945年8月、世界で初めて原子爆弾が広島と長崎に投下され多くの人が犠牲になりました。
原爆の被害には、熱線、爆風、放射線の三つがあります。爆心地近くでは、3千~4千度の熱線を浴びた人のほとんどがその瞬間か数日のうちに死亡しました。爆風で壊れた家の下敷きになり圧死した人や、燃えた家から逃げ出せず焼け死んだ人も多数いました。そして原爆の最大の特徴が、放射線による被害です。
原子爆弾は、通常の火薬による爆弾では発生しない大量の放射線が放出されます。放射線は、人の体の奥深くまで入り込み、細胞を破壊し、血液を変質させるとともに、骨髄などの造血機能を破壊し、肺や肝臓などの内臓を侵すなどの深刻な障害を引き起こしました。広島市のホームページによれば、被爆直後から短期間にわたり、人々は吐き気や食欲不振、下痢、頭痛、脱毛、倦怠感、吐血、血尿、血便、皮膚の出血斑点、発熱、口内炎、白血球・赤血球の減少、月経異常などのさまざまな症状を示しました。これらの「急性障害」は、約5か月後の12月末にはほぼ終息し、原爆の影響はこれでおさまったと考えられました。しかし、放射線の影響はこれで終わるものではありませんでした。
1946年初めころから、火傷が治ったあとが盛り上がる、いわゆるケロイド症状が現れました。また、胎内被爆児は出生後も死亡率が高く、死を免れても小頭症などの症状が現れることもありました。さらに被爆後5、6年が経過した1950年ごろから白血病患者が増加し、1955年頃からは甲状腺がん、乳がん、肺がんなど悪性腫瘍の発生率が高くなり始めました。
1945年末までに広島では約14万人、長崎では7万4千人近くが亡くなったと言われています。その後も放射線の影響で多くの人が死亡し、今も不安を抱えている人が多くいます。
被爆した人には、被爆者健康手帳が配られており、医療費の自己負担分が免除されます。手帳交付は1957年に始まり、80年前後には全国で37万人を超えました。近年では毎年1万人程度ずつ減少し、今年3月末で手帳を持つ人は14万5844人・平均年齢は82.65歳になりました。一方、子供への差別を怖れた親心から、子供の被爆を申請書類に書かなかったことで、いまだに手帳を取得できず苦しむ人たちもいます。「行政はそうした事情も考慮し、申請者本人の証言を重視して手帳を交付すべきだ」と指摘し続ける支援者の声は、まだ実現にいたるまで届いていません。
被曝による健康被害は、一国の過去の悲劇ではなく、現代から未来に続く世界全体の問題です。戦後から現在まで、核実験は繰り返し行われ、原発事故も起きています。2011年の東日本大震災では東京電力福島第一原発が大きな被害を受けました。震災から8年が経ち、今年4月に一部地域の避難指示解除が行われましたが、事故による健康被害の影響については解明されていないままです。
日本に住む私たちは、唯一の戦争被爆国として、また来年オリンピック・パラリンピックで世界の人たちを迎え入れる立場として、被曝による健康被害について起きたことと、今起きている問題に向き合い、正しい情報を知り、語り継ぐ必要があると思っています。